エンニオ・モリコーネの職人芸エンリコ・モリコーネ

イタリアを代表する映画作曲家エンリオ・モリコーネ(1928年、イタリア・ローマ生まれ)と言えば、古いファンにとっては、クリント・イーストウッドに代表される「マカロニ・ウェスタン」です。この命名は日本で独自につけたものですが、要はイタリア版の西部劇を指します。

神童モリコーネ
6歳で作曲を始めるという神童ぶりを見せていたため、1938年、わずか10歳でローマのサンタ・チェチーリア音楽院に入学を許されています。青年時代はトランペット奏者として音楽団員で活動している父の影響もあり、モリコーネは17歳の時音楽院で学ぶ傍ら、父の代役として時々トランペット奏者として活動していました。
クラシックもポップスも両方の音楽活動に関わっていたモリコーネは、指揮するモリコーネ音楽院を首席で卒業する頃は「カンツォーネも書ける現代音楽作曲家」として重宝がられ、様々な方面から引っ張りだこでした。そして、1955年には早くも映画音楽の世界に足を踏み入れます。とはいえ、当然ながら無名のモリコーネは、他の作曲家のスコアのアレンジやゴーストライターの下積みからのスタートです。一方、アカデミックな教育を受け、その才能を期待された故に、正統な音楽、つまりクラシック音楽の世界ではなく、ポピュラー音楽へ進んだことについて、非難する人たちがいました。モリコーネは次のように反論します。
「私が作曲する映画向けの音楽と演奏会向けの音楽との間に大した違いはない。映画音楽を書き始めたころは、芸術への裏切り者になったような気がしたが、その後、同じ真剣さと才能を映画音楽にも注いでいることがわかった。[1989年、『Hollywood Reporter』誌インタビュー記事より]

ディスコグラフィー
ジェリー・ゴールドスミス米国映画音楽の大作曲家と言われるジェリー・ゴールドスミスと殆ど同年輩でしたが、片やハリウッドという巨大なバックグラウンドがあったものの、モリコーネは勢いが衰えつつあったイタリア映画界で活躍。モリコーネに対する当時の評価は世界的に見ればゴールドスミスとは比較できない程でしたが、モリコーネの作品は時代を超えて世界中で高い評価を得ました。エンニオ・モリコーネと言えば、勿論「ウェスタン」なのですが、それだけでなく、とても音楽性に富んだ楽曲を作り、スキャットを多用した’モリコーネ・サウンド’を確立させた素晴らしい作曲家です。そんなモリコーネの膨大なディスコグラフィーから、入手できる作品を中心に年代ごとに掲載してゆきます。
76歳過ぎても(2004年現在)現役で活躍するモリコーネにとって、西部劇で語られるのは嫌なようですが、最近の活動はハリウッド作品も多く、今日のモリコーネ音楽を知っている人にとっては「ニュー・シネマ・パラダイス」の作曲家と言う方が分かり易いかもしれません。荒野の用心棒
1967年、日本中の映画館は、「荒野の用心棒」、「夕陽のガンマン」等イタリア発の西部劇で埋め尽くされました。この年優にに100本を越える「マカロニ・ウェスタン」が公開され、「荒野の用心棒」のテーマ曲「さすらいの口笛」は23種のカバーが出るほどの大ヒットとなりました。イタリア以外では日本だけ異常に西部劇がヒットした要因は、やはりモリコーネ作曲の「さすらいの口笛」に因るところが大きいと考えられます。モリコーネはその後30本もの西部劇の作曲を担当し、イタリア西部劇の作曲家としては第一人者となりました。しかし、すでに400本を越える映画を担当しているモリコーネにとって、「マカロニ・ウェスタン」は一通過点でしかありません。
寡作のニーノ・ロータと並んでイタリアを代表するモリコーネは、ロータがフェリーニ監督やビスコンティ監督を中心に作曲活動を進めたのとは違い、依頼があれば、どんな監督や作品にも曲を提供しました。
例えば、SF「遊星からの物体X」(1982)を作曲したかと思えば、名曲、“アマポーラ”をモチーフにした「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」(1982)、サントラも大ヒットの「ニュー・シネマ・パラダイス」(1988)を経て、「海の上のピアニスト」(1999)、そしてNHK大河ドラマ「武蔵」も手掛けるなど作曲出来ないジャンルはないと言うくらいの映画音楽の職人芸ぶりを見せています。

監督とのコラボレーショントルナトーレ監督とティム・ロス
別のページで紹介しています作曲家ニーノ・ロータとフェリーニ監督とのコラボレーション。音楽が作品の一部、言い換えれば、音楽が個々のシーンを意味付けているような作曲は多作のモリコーネ作品にはあまり見られませんでした。特定の監督と作品の内容まで深く入って作曲するような手法は、お互いに信頼し尊重し合うような友情関係なくしては、なかなか築けません。ニーノ・ロータはフェリーニが作品に関して話し始めると、そばですぐに話のモチーフを曲にして監督に聞かせてみせたと言われます。職人芸の妙技として、多作家のモリコーネも「ニュー・シネマ・パラダイス」の監督ジュゼッペ・トルナトーレと出会ってから、彼の作品にはシナリオの段階でも作曲していくように、フィルムと一体化した曲作りを始めました。30歳も違う親子ほどの二人ですが、「ニュー・シネマ」以来、理想的な監督と作曲家の関係を築き上げ、トルナトーレ監督の作品にはすべてモリコーネが曲作りをするようになりました。ちなみにふたりはその後「マレーナ」(2001)で再びコンビを組んでいます。

「海の上のピアニスト」の伝説海の上のピアニスト
この映画はもちろんフィクションですが、脚本を書く前に作曲を始めるという異例なケースで、架空の主人公ナイティーン・ハンドレッド(1900年に生れたので、そう命名された)が奏でる美しい音楽を、モリコーネはすべてオリジナルスコアで書き上げました。原作は1人芝居の戯曲です。映画化したいと考えたトルナトーレ監督は、すぐにその本の内容を電話でモリコーネに伝え、早速本を読んだモリコーネは、翌日自宅に現れたトルナトーレにすでに作曲を始めたいくつかのメロディを弾いて聞かせました。2人はお互いに意見を交換しながら、まだキャスティングも決まっていない時点で映画音楽の主要旋律を作ってしまいました。映画を観た方はわかると思いますが、作品上ではジャズでもクラシックでも、フォークソングでもない主人公の即興演奏が、見事に表現されています。
主人公を演じたティム・ロスは、ピアノが弾けない俳優です。昔「愛情物語」という伝記映画でタイロン・パワーという俳優がショパンのノクターンをモチーフにした“To love again”というテーマ曲を、見事に“演奏”しました。(実際にはカーメン・キャバレロというピアニストが弾いていました。)
監督は当初からキャスティングにはティム・ロスを考えていましたが、やはりピアノ演奏のシーンをどう処理するかが課題でした。CGで処理するのもひとつの見せ方ですが、特訓を受けたロスのピアノ演奏は、本当のピアニストが弾くように見事な“演技”でした。
実在したジャズピアノの創始者と言われるジェリー・ロール・モートンと主人公ナイティーン・ハンドレッドが「ピアノの決闘」を演ずるシーンが、この映画のハイライトにもなっているのですが、面白いことに、モートン役の俳優であるクラレンス・ウィリアムズ三世も全くピアノを弾けない俳優です。このシーンはピアノ線が演奏により高熱になり、葉巻が触れると火が点くという少しばかげた落ちがあるのですが、演奏されたモリコーネのオリジナル曲はかなり独創的で一聴の価値があります。プロが集まって作った作品はやはり一味違います。エンニオ・モリコーネ COMPOSED BOX

モリコーネの作品集大成
60年代から2000年過ぎても、なお、精力的に活動するモリコーネ。2003年、NHK大河ドラマ『武蔵-MUSASHI』の音楽を外国人としてはじめて担当することになり注目を集めました。最近はモリコーネ作品が再び注目され、ベスト盤をはじめ関連作品がリリースされています。ドキュメンタリー・オブ・エンニオ・モリコーネ
2003年の待望の初来日をきっかけに、モリコーネ作曲によるテーマ曲が心を打つ傑作イタリア映画「死刑台のメロディ」「鉄人長官」「シシリアの恋人」3作品がDVDで復刻された集大成ともいえる「エンニオ・モリコーネ COMPOSED BOX」 (税込み\19,110)や「ドキュメンタリー・オブ・エンニオ・モリコーネ」 (税込み\3,990) が発売されました。他にもモリコーネ作品はCDでも多数の種類のベスト盤が出ており、違ったテイストのモリコーネ音楽が堪能できます