スティーブン・キング 仮面の下の素顔

スティーブン・キングスタンド・バイ・ミー

4部作「Different Seasons」ベン・E・キングの美しいバラードに加え、映画でも高い評判を呼んだ「スタンド・バイ・ミー」(原作名は「ザ・ボディ」)。スティーブン・キングの私小説的作品と言われていますが、この作品は長編を書き上げた後に、余力に書き上げた4部作の中編集「Different Seasons」の一つです。残りの3部とは、現在公開中の「ショーシャンクの空に」の原作「刑務所のリタ・ヘイワース」(春編)、現実にあり得る恐ろしい少年犯罪を題材にした「ゴールデンボーイ」(夏編)、そして冬編には、クリスマスに出産した若い未婚の母の悲しくも不思議な小品「呼吸法」(ラマーズ法を指す)があります。
ユーミンの作詞には商品や音楽の固有名詞があまり出てきませんが、スティーブン・キングの小説には頻繁に登場します。ちょっと比較には無理がありますが、なかでもキングのロックフリークは有名です。作品に出てくる数々のミュージシャンの名前や曲名以外に、ドライブ中のFMラジオからあまり好きな音楽が流れてこないとの理由で、自ら出資して自分好みの曲ばかりかけるラジオ局を作ってしまうほどです。キング作品を題材にした映画にもちょい役(しかも変な役が多い)で出演したり、バンドを組んでCDまで制作する露出趣味を持ち合わせている一方、本物の仮面を被るのも好きなようです。今回はこのようなキングの知られざる恐ろしい?いくつかの”顔”を紹介します。
ロック好きのキング

貧乏キング

キングは7歳の頃より小説らしきものを書き始め、10歳の時には早くもSF雑誌に投稿する天才ぶりを発揮しています。18歳では同人雑誌に作品を発表し、20歳で「ガラスの床」という作品が商業雑誌に取り上げられています。
駆け出しは順調に見えたキングですが、いざモノ書きで生計を立てるには、無名でコネもなく、食うや食わずの生活が強いられます。今から25年前に結婚して最初の子供“ナオミ”が生まれた頃の貧乏状態といえば、地についた家ではなく、エアコンも効かないトレーナーハウスで生活していた事実から想像できます。多作家のキングはそんな最悪の環境の中でも暑さと狭さに負けずせっせと書き続けました。一方、出版社はそんな事情も知らず、キングの多くの初期作品はボツにされました。一度は作家の道を諦めかけましたが、吸血鬼を題材にした「呪われた町」くらいから、彼の経済状態は好転し、今では5000万部を越す超ベストセラー作家になったのは、皆さんのご存知の通りです。

リチャード・バックマン氏、キングに抹殺される

殺された?リチャード・バックマン1985年2月、キングは1人の無名作家を抹殺します。キングははテレビ番組“グッドモーニングアメリカ”のインタビューで、「バックマン氏の死因は偽名癌であった。」という奇病を挙げ、殺害は認めなかったのですが、キングがバックマンを“殺害”したのは明らかでした。では、このバックマンとはどのような人物だったのでしょうか?彼はいわゆるペーパーバックの無名作家で、77年の「激怒」から84年の「痩せ細りゆく男」まで5作品をこの世に残しています。代表作に後でシュワルツネッガー主演で映画化された「バトルランナー」がありますが、生前もっとも売れたのが、「痩せ細りゆく男」(原題Thinner) で約3万部と、ミリオンセラー作家には程遠い無名作家でした。なぜ、キングがこのような無名作家のバックマンを抹殺しなければならなかったかは謎ですが、それを解く鍵はアメリカの出版業界の事情にあるようです。

スティーブン・キングというブランド力

キングクラスの有名作家は、1年に1作という商業戦略が守られていました。例えば、諜報もので大人気の作家ロバート・ラドラムは、次回作の出版待ちを読者にあえてじらせるため、年1作の出版ペースが守られています。一方、キングは無名時代にボツ箱入りした多くの作品を“死なす”には偲びなく、いつか世に問いたいと思っていました。つまり、「スティーブン・キング」ブランドが確立した後、キングブランド以外で昔の作品が売れるかどうか試してみたかったのです。「バトルランナー」は実際には74年の初期作品で、本人の自信作にもかかわらず、どの出版社からも取り上げて貰えず、キングの“ボツ箱”入りとなりました。当然人気が出た後のキング名での出版は、商業戦略上許してもらえず、その苦肉策として架空の作家リチャード・バックマンを創りだしたのです。そして82年に始めて「バトルランナー」は陽の目を見ますが、売れ行きはそこそこでした。「痩せ細りゆく男」
キングはバックマンに本当らしい履歴を与え、84年作の「痩せ細りゆく男」の裏表紙には著者近影の写真まで載せています。しかし、人気作家になったあとのキングの熱狂的な読者は、バックマンの正体がキングであることを再三指摘しましたが、キングはこれを決して認めようとしませんでした。ところが、ワシントンの本屋の店員が、「痩せ細りゆく男」の文体があまりにもキングと酷似していたため、議会図書館に行き、バックマン本の版権元を調べました。そして、1985年2月9日、デイリーニュースが「キングはバックマンである。」とすっぱ抜いてから、キング自身もそれを認め、時同じくしてバックマンは偽名癌で急死したのです。
バックマン名で3万部売れた「痩せ細りゆく男」は、キング名になって300万部売れました。これこそブランド名の強さか、はたまた作品の実力か、どう思いますか?
(nao)

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