ミュージカル界のスター誕生

ミュージカル「ガール・クレイジー」マーマンよ銃をとれ

ブロードウェイの初演でスターとなった人には、ユル・ブリンナやバーブラ・ストライサンドなどが有名ですが、最近、宮本亜門演出の「アイ・ガット・マーマン」でその名が知られた女優のデビューも“伝説”にふさわしい出来事でした。
1930年の10月14日に幕開けた前述の「ガールクレイジー」は、初日から観客を大騒ぎさせるいくつかの要因がありました。まず、オーケストラボックスにはメジャーになる以前のベニー・グッドマン、グレン・ミラー、ジミー・ドーシー、レッド・ニコルズなどそうそうたるメンバーが演奏者として揃っており、美しいガーシュインのバラード“Embraceble you”は、後にフレッド・アステアの黄金のダンスパートナーとなる新人のジンジャー・ロジャースによって歌われました。そして後にジーン・ケリーの主演映画「パリのアメリカ人」でも使われてヒットした“I got Rhythm”が初舞台であった一人の新人女優によって歌われました。彼女はその驚異的な歌唱力でその夜のステージでひときわ強く輝き、一夜にしてスター誕生の伝説を作りました。その人エセル・マーマン(1909〜84)は、日本ではほとんど知られていませんが、アメリカでは大御所的なミュージカル女優でした。

エセル・アーマン主演「アニーよ銃をとれ」代表作では「アニーよ銃をとれ」「ジプシー」が有名です。初演日、彼女が“I got Rhythm”を歌い始めると観客は総立ちになり、場内は大混乱となります。それほどマーマンの声量は強力で、劇場そのものが振動するほどの圧倒的な力を持っていました。一般のブロードウェイの劇場は日本の日生劇場と比較してそれほど大きくはなく、舞台と観客との距離も近いため、昔はほとんどマイクを使わずに歌っていました。そのため、歌い手の力量はダイレクトに観客に伝わるので、初演の成功が新作品の成功の鍵となります。特に初演翌日のニューヨークタイムズ紙などによる辛辣な批評が、その後の作品の運命を決めるのはご存じの通りです。

ジュリー・アンドリュースのスター誕生

映画「サウンド・オブ・ミュージック」で一躍メジャーとなった、ジュリー・アンドリュースのスター誕生のエピソードを紹介します。彼女のブロードウェイデビューは、1954年の「ボーイフレンド」です。出世作となった'56年初演の「マイ・フェア・レディ」の時はまだ20歳でした。当初から主役の一人であるヒキンズ教授役には、英国の舞台俳優レックス・ハリソンを念頭において作られていました。しかし、もう一方の主役であるイライザ役には、メリー・マーティン、ガートルード・ローレンスなど大物の候補がいましたがイメージにそぐわず、主演女優の人選が難航しました。結局オーディションでプロデューサーの目にとまったのが、新人女優のジュリー・アンドリュースで、この作品で一躍スターダムにのしあがります。その後、皮肉にも自分が主演した「マイ・フェア・レディ」の映画化に当たっては、商業的に知名度が弱いとの理由でオードリー・ヘップバーンに主演を奪われ、逆に「サウンド・オブ・ミュージック」の映画化では、舞台でマリア役を演じていたメリー・マーティンに代わって彼女が主役の座を射止め、大スターになったのでした。舞台のサウンド・オブ・ミュージック

偉大なミュージカル作家
さて、最後に「サウンド・オブ・ミュージック」に関わる悲しくも感動的なエピソードを一つ紹介します。この作品は、主演のメリー・マーティンがブロードウェイミュージカルの作詞、作曲者として黄金コンビを築いた二人、オスカー・ハマーシュタインII(作詞)とリチャード・ロジャース(作曲)にミュージカル化を依頼して、1959年に世に送り出されました。ロジャースは数々の名曲を生んだロレンツ・ハートとのコンビを、1943年の「オクラホマ」の制作を機に解消しています。ハートのアル中が原因でした。それ以降、ハマーシュタインIIとのコンビにより「回転木馬」「アレグロ」(製品名ではありません!)「南太平洋」「王様と私」など、次々とヒット作を飛ばします。

最後の作品「エーデルワイス」

ロジャースとハマーシュタインII二人の最後の作品となった「サウンド・オブ・ミュージック」の完成間近の頃は、両人とも癌をわずらっており、ロジャースは下顎の半分を切除する手術を受け、病院と舞台の往復をしながら作品の最後の仕上げにかかっていました。一方、ハマーシュタインIIも潰瘍の癌による余命が限られる中、ボストンの試演の際に追加されることになった最後の作品「エーデルワイス」を書き下ろします。初演が開けた翌年の夏、オスカーは親友であるリチャードとホテルで久しぶりの昼食を共に取ります。自分の運命を知っていたオスカーは静かな口調で医者の忠告を断わり、愛するペンシルヴァニアの農園に戻る旨を伝えます。友の心中を察したリチャードは何も言わずごく普通に世間話をし、二人は握手をしてお互いの最後の別れを告げます。それから一ヶ月余り経った8月23日の夜、演劇史上はじめてブロードウェイとロンドンのウエストエンドで追悼の気持を込めてすべての明かりが3分間消灯されました。 (nao)

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