フィル・スペクター紹介の本フィル・スペクター
ビートルズのお蔵になりかけたアルバムを復活再生

お蔵入りになったビートルズ69年のライブセッション“GET BACK”

解散前夜のビートルズ1940年の初頭、フィルはロンドンのアップルレコード社の地下ミキシング・スタジオで、ビートルズのお蔵入りになった69年のライブセッション録音テープと格闘していました。このテープには、“GET BACK”という仮題がつけられていました。つまり、バラバラになった4人の音楽性をもう1度まとめて、“本来のビートルズの姿に戻ろう”という想いがこめられていたのです。レコーディングは約1年前に3週間にわたり行われていました。しかし、このセッションでは新曲もオールディーズのカバーも何十曲となくレコーディングされましたが、ノリは最低で4人の音楽性がまとまるどころか、かえってバラバラになってしまいました。映画「LET IT BE」で見られる屋上でのセッションでは、ビル前の通りを歩く数人の歩行者を相手に、お互いの顔さえ見ようとしない4人の姿が映しだされています。その後、この記録映画と制作アルバムは「GET BACK」から「LET IT BE」というタイトルに改題されましたが、誰一人としてスタジオへ戻って曲の完成と選曲を行おうとせず、テープはスタジオの棚に置き去りにされました。

ジョン・レノンによるフィル・スペクター起用


シングル「INSTANT KARMA」さて話は少し飛びますが、ビートルズと以前から親しかったフィルは、ジョン・レノンより彼の新曲“INSTANT KARMA”のプロデュースの依頼を受けます。ジョンはスペクターの音楽ファンで、かねてからフィルの起用を考えていました。すでにジョージ・ハリソンの“RIVER DEEP”のプロデュースで高い評価を得ていたので、この話はすんなりと進みます。 “INSTANT KARMA”の録音は、70年の1月末にアビーロードのEMIスタジオで行われました。ジョージ・ハリソンのギター、クラウス・バーマンのベース、アラン・ホワイトのドラムという豪華なメンバーによる“プラスティック・オノ・バンド”をバックに加え、このセッションは始まります。演奏を録り終えたフィルは、さらにピアノやキーボードの演奏をオーバーダビングして、かつての“ウォールサウンド”をよみがえらせます。ところが、フィルはまだ満足せず、ジョンに進言してさらにストリングスをダビングしたいと主張しますが、受け入られないままこの作品は2月の初めにリリースされます。しかし、この曲は全米3位までヒットチャートを昇りつめ、100万枚を越えるミリオンセラーとなりました。

お蔵入りのセッションが「LET IT BE」 として復活

「LET IT BE」の頃のビートルズこれで気をよくしたジョンは、見捨てられた「LET IT BE」のアレンジと完成をフィルに依頼します。彼は、一切外部の制約を受けないという条件でこれを引き受け、2月の寒いさなかアップルの地下スタジオにこもります。フィルはこの数十曲の録音の中から“Save the last dance for me”などのオリジナル以外の演奏はすべてはずし、タイトル曲「LET IT BE」のような生々しいサウンドだけでなく、“The long and widing road”のように元来ピアノのみの演奏だった作品に、後でストリングス、女性コーラスなどを重ねて対極的な厚みのあるサウンドをつけ加えます。完成すると、フィルは4人のメンバー全員に試聴盤を送り、アルバムリリース承認の確認を行います。4人から承認の電報を受け取り、完成したアルバムはリリースを待つばかりとなりますが、すでにプレス工程に入った直後に、ポールからリリース差し止めの要求が出されます。しかし、話し合いは間に合わず、5月にはアルバム「LET IT BE」が発表されます。このいきさつでポールは“The long and widing road”のアレンジを証拠として、『変形された作品が自分のキャリアを破滅するものだ』と主張する告訴にまで事件は発展していきます。さらに音楽誌“ローリングストーンズ”の批評でも「・・・ビートルズのアルバム中、ベストとなる可能性があった宝石の原石を模造品に変えてしまった・・・(中略)フィル・スペクターの大失策である。」と言われる始末でした。しかし、現実はどうだったでしょうか?この作品は当時400万枚を越えるセールスをあげ、グラミー賞の映画音楽ベスト・オリジナル・スコア賞を受賞しました。そしてこの賞を自分の手で受け取ったのは、他ならぬポールだったのです。結果としてポールは、こうした自分のキャリアの破滅どころか、フィルの才能によりひとつ栄光を手に入れた、と考えてみてもおかしくないでしょう。


アルバム「Let it be」 後日談


フィルは当時、この“事件”のいきさつを次のように語っています。「“LET IT BE”に関していえば、ジョージ・マーティン(“LET IT BE”最初のプロデューサー、彼はシングルカットで“GET BACK”のみプロデュースした)は、まったく手をつけなかった。ビートルズのメンバーも作品には不満であったし、リリースする気にもなっていなかった。そこで、ジョンが『フィルにやらせたらどうだろう?』と言って、ぼくが『いいよ』と答えただけさ。その時ぼくは皆に『いっしょにやる気はあるかい?』と聞いたところ、答えは『ノー』だった。みんなどうでもよかったみたいだった。でも『リリースしたくない』という権利はあっただろうに、誰も何もいわなかった。5年経てば、ぼくの仕事の素晴らしさがわかってくれるかもしれない。」実際、フィルには5年も必要でなかったのは皆さんご承知の通りです。

Let It Be... Naked

さらに30年以上経過して、オリジナル・ヴァージョンが登場しました。フィル・スペクターの手によるオーケストラ、コーラスや、サウンド・エフェクトなどをそぎ落とし、ビートルズの演奏の部分だけを残しリミックスされています。やはり、ポールのアーティストとしての感性が、フィルのサウンドと相容れなかったのでしょう。確かにLet it beはサウンド的には、ビートルズのアルバムの中では異質でした。

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