モーツァルトの暗殺説の真偽


未完のモーツァルト肖像画

私事ですが、1993年10月にウィーンの国立歌劇場で上演された「フィガロの結婚」を家内と聞きに行きました。初めてのヨーロッパ旅行で、初めてのウィーン国立歌劇場におけるオペラ観劇でした。まさに夫婦ともども感激の旅(実はハネムーン)でした。指揮はリッカルド・ムーティでこのシーズンのハイライトの1つでした。ウィーンでは毎年新しい演出で人気のオペラを上演しますが、その際には指揮者をはじめ、歌手の殆どにその時の一流どころを集めます。そしてどんなに素晴らしい演出であっても新作の場合には、ウィーンの聴衆はブラボーとブーイングの嵐となります。また、正装が基本ですので、私たちも日本からタキシードとドレスをわざわざ持参しました。オペラの幕の休憩時間には、紳士淑女がカフェでワインやシャンペンを味わいます。まさにそこは社交場で、慣れない私たちは少し落ち着きませんでした。

モーツァルトの死とオペラ

初演当時の「フィガロの結婚」モーツァルトのオペラを軸に彼の死とオペラとの因縁を少々紹介したいと思います。モーツァルトが最初にオペラを書いたのは若干11歳の時、1767年でした。その後 20曲程の作品を書き上げますが、今日も頻繁に上演されているのは殆ど26歳以降の作品で「コシ・ファン・トゥッテ」「ドン・ジョバンニ」「魔笛」などすべて彼の円熟期に書かれています。特に「フィガロの結婚」が書かれた頃のモーツァルトはウィーンでは人気作曲家としてもてはやされ、経済的にも晩年の貧困と較べてかなり余裕があったようです。しかし、「フィガロの結婚」はウィーンではたった9回しか上演されませんでした。それは登場人物の主人公である理髪師のフィガロと、彼が仕える敵対役のアルマヴィーヴァ伯爵とのストーリー展開が、当時の貴族を風刺した一面があったためでもあるようです。


映画「アマデウス」によりサリエリのモーツァルト暗殺説が物語として描かれていましたが、この説が流布するようになったのもやはりオペラによってでした。しかしこれはモーツァルトのオペラではなく、ロシアのリムスキー・コルサコフによる1898年の作品「モーツァルトとサリエリ」からです。では、何故にこのような説が語られ、オペラにまでなったか少し謎の糸を探ってみましょう。

ライバルであったサリエリの名声


アントニオ・サリエリアントニオ・サリエリ(1750年〜1825年)はイタリアのヴェローナ生まれで、ウィーンやパリで活躍したオペラを得意とする作曲家でした。ウィーンでは宮廷楽長を36年間務めていた程の人物ですから人気はともかく、その実力と影響力がかなりのものであったことは確かです。例えば、かのベートヴェンがサリエリに歌曲を学んだことからも彼の力量が想像できます。サリエリ、モーツァルトとともに当時のオーストリア皇帝ヨーゼフ二世の寵愛を受けていたことから、どちらかが生き残るためには1番にならなければならなかった宿命でした。結果として実を取って名が少なかったのがサリエリ、名を残して実が少なかったのがモーツァルトと言えます。
しかし当時、お互いにライバル同志であった両人が犬猿の仲であったという話しは残っていません。むしろ今でいうマスコミにあたる外野の存在が2人の仲をおもしろおかしく煽ったのが真相のようです。そこで映画でも描かれているようにあまりにも悲惨であったモーツァルトの晩年に対し、音楽新聞などがサリエリの死後あたかも彼が毒殺したように思わせる文章でサリエリの死を記事にしました。例えば、1825年サリエリが没した直後にライプツィヒの新聞では、彼の死の直前の模様を「サリエリはうわごとの中でときどき、自分がモーツァルトの早く死んだことに対して罪ある者だと告白した」と書いています。実際サリエリは死を前にしてその場に居合わせたシュモレスという人物に“毒殺説は全くの悪意からそのような噂が流れたのだから世間にこのことを伝えて欲しい”と言い残しています。後年の医学的な研究によるともちろん、モーツァルトの毒殺説などありません。事実はモーツァルトは「長い間肝臓病を患っていて尿毒症を起こして死んだ」とあります。しかも死後すぐにデスマスクが取られています。残念ながらこれは未亡人コンスタンツェが壊してしまい紛失して現存していません。

プーシキン

プーシキン
このつまらぬゴシップねたから始まった毒殺説が、今日まるで事実のよう映画にまで使われるようになったきっかけは、実はロシアの詩人であるプーシキンがその張本人でした。彼は1880年に「モーツァルトとサリエリ」という詩劇を書き、その中でサリエリのモーツァルト殺害の動機を描いています。その原作は今日でも舞台で上演され、そのストーリーは一度ならず映画でも脚色され用いられています。つまり本当の悲劇は、悲惨な葬式で今もその墓がわからないモーツァルトよりも、殺人者としての名前で後世に名を残したサリエリかも知れません。しかしこの「不名誉な映画」のおかげで彼のオペラ作品のいくつかもCD化され近年発売されています。

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